東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)149号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1(1) 成立に争いのない甲第二号証の一(本件願書)によると、本願明細書に次のとおりの記載があることが認められる。
ア 「ロジウム又はイリジウム及びよう素又は臭素含有触媒系が、比較的おだやかな圧及び温度条件下に、オレフイン、アルコール及びアルコールのエステル、ハロゲン化物又はエーテル誘導体の如き供給物質をカルボニル化するという発見は、カルボニル化技術に対する明白なる寄与である。」(第三頁第二ないし第八行)
イ 「これら新規に開発された触媒系の広い優越性にもかかわらず、液体反応物からカルボニル化生成物を分離する慣用のプロセス計画は、触媒の不活性化及び沈殿という問題を提起している。」(同頁第八ないし第一二行)すなわち、「この新規に開発された触媒系は、非常に熱にびん感であり、蒸留塔の再沸器の加熱表面に接触した時には分解及び不活性化する傾向がある。」(同頁第一八ないし第四頁第一行)
ウ 「その様な分解を減少させる一つの方法は、極めて大型の蒸留塔再沸器を使用しそれによつて再沸器中の表面温度を比較的冷たくすることである。その様な比較的冷たい再沸器の表面の使用により、触媒系分解の問題は、ある程度軽減される。しかし、その様な大型再沸器を使用しても、ある程度の触媒分解はいぜんとして起り、維持の点からも、及び初期投資の観点からも非常に高価なものとなる。」(第四頁第一ないし第一〇行)
エ 「これら及び他の目的を満足させる本発明は(中略)カルボニル化生成物を液体反応体から熱を加えることなく分離する、カルボニル化法の改善である。」(同頁第一一ないし第一八行。「液体反応体」とは、カルボニル化生成物、液体触媒系及び未反応供給成分を含有する、反応帯からの流出物のことである。)
オ 「液体反応物から一部分をとり出し、反応器中の圧よりも実質的に低い圧に保たれている分離帯に送りこむことにより、本発明者等は、このカルボニル化生成物の少くとも一部分が、液体触媒系の実質的な分解を起すことなく気化することを発見した。この気化は、その反応物に何ら熱を加えることなく起こる。」(第五頁第六ないし第一三行)
カ 「本発明は、反応器から少くとも一部分の液体反応物をとり出し、それを熱を加えることなしに、実質的に低い圧に保たれている分離帯に送りこむことにより、液体反応物からカルボニル化生成物を分離する際の、触媒の不活性化及び沈殿の問題を解決する。この結果少くとも一部のカルボニル化生成物が気化するがこれは次いで分離帯から蒸気の形で、均質な触媒系の分解及び沈殿を起すことなく取り出される。」(第六頁第五ないし第一三行)
キ 「この改善された方法の結果として、高価な触媒はほとんど又は全く分解せず、反応物から沈殿することがない。安定な均一な触媒系を含有する、分離帯中の気化しなかつた液体は、反応器中に再循環させることができる。」(第五頁第一四ないし第一八行)
ク 「反応器と分離帯の圧の差を少くとも〇・一四kg/cm2に保つことにより、かなりの量のカルボニル化生成物を液体反応物から気化させることができる。付加的な熱をこの液体反応物に与えないことが重要である。その理由は、本発明者等は、熱がこの液体反応物に与えられた点においては、触媒の不活性化及び沈殿が起ることを発見したからである。」(第一八頁第七ないし第一四行)
(2) 以上の本願明細書の記載によると、本願発明は、ロジウム又はイリジウム及びよう素又は臭素成分を含有する触媒系は、カルボニル化反応の触媒として優れているが、熱に不安定で、カルボニル化反応の液体反応物からカルボニル化生成物を分離するのに、従来慣用されている蒸留塔を用いたのでは、その再沸器表面での加熱により、触媒系が分解したり沈殿したりして、不活性化するという問題点があり、また、実質的に低い圧力の分離帯に通して分離する場合においても、付加的に熱を加えると、右と同じ問題点が生じるとの知見に基づき、液体反応物の少なくとも一部分を実質的に低い圧力の分離帯に熱を加えずに通して、カルボニル化生成物の少なくとも一部分を気化させて取り出し、残留流体反応物を反応帯中に再循環させるという構成を採用し、この構成によつて、高価な触媒系の損失を防ぎ、その有効利用を図ろうとしたものということができる。
2 成立に争いのない甲第三号証(引用例)によると、引用例には、「本発明によれば、n個(ここではn個は1ないし20の整数である)の炭素原子を有するアルキル化合物か又はn個(ここではnは6ないし20の整数である)の炭素原子を有するアリール化合物であつて、アルコール、ハライド、エステル又はエーテルである反応体を処理して、n+1個の炭素原子を有する有機酸又は該酸とn個の炭素原子を有するアルコールとのエステルから成る混合物を得る方法であつて、前記反応体を少なくとも50℃の温度で、触媒としてのロジウム又はロジウム化合物並びに臭素、よう素、臭素化合物及びよう素化合物から選択された促進剤(助触媒)物質の存在下に一酸化炭素と反応させることにより成る前記方法が提供される。」(第一頁第一三ないし第二九行)と記載されていることが認められる。この記載によると、引用例記載の発明は、炭素原子数一ないし二〇の脂肪族系又は炭素原子数六ないし二〇の芳香族系のアルコール、ハライド、エステル又はエーテルを一酸化炭素と反応させてカルボニル化するに当たり、触媒として、ロジウム又はロジウム化合物並びに臭素、よう素、臭素化合物及びよう素化合物から選択された促進剤(助触媒)物質を用いるものであり、この触媒を用いる点に特徴があることが認められる。
3(1) そして、右甲第三号証によると、引用例には、「本発明方法の理解を深めるために、本方法の特定の態様を次に示す。」(第一一頁第三二ないし第三四行)として、引用例記載の発明を液相法で実施する態様の一例の系統図が第一図(別紙図面(2))に示され、右の例における、液体反応物からカルボニル化生成物(酢酸)を分離する工程及び触媒系の回収工程について、次の記載があることが認められる。
ア 「反応器3からの液状流出流は系統6を通して除去される。弁7で圧力を下げた後、液状流出流は蒸留又はフラツシユ塔30に導入され、ここで低沸点化合物が酢酸及び触媒系のような他のより揮発性でない成分から分離される。酢酸メチル、よう化メチル及び未反応メタノールから主として成る低沸点成分は系統31から出」る(同頁第八六ないし第九六行)。
イ 「酢酸及び他の高沸点化合物は塔30から系統32として除去され、そして蒸留又はフラツシユ塔40に入る。この塔中で水を含有し得る酢酸は主として触媒から成る他の高沸点成分から分離される。酢酸生成物は系統41として抜き出され、そして水を除くために更に精製してもよい。」(同頁第一〇二ないし第一一〇行)
ウ 「高沸点成分は系統42を通じて出て、そしてポンプ44により反応器の圧力に至らしめられる。酢酸より高沸点の成分例えば高沸点溶媒などが存在しなければ、若干の酢酸は反応器に触媒を戻す系統42を通じて再循環されてよい。少量の液体排出(パージ)流は系統46として抜き出してもよく、それによつて高沸点化合物の蓄積が防止される。系統46からの不純物の除去後回収された触媒は補給流(系統43)に添加される。」(同頁第一一〇ないし第一二一行)
なお、引用例の第一図の系統図では、反応器3と第一の蒸留又はフラツシユ塔30とをつなぐ系統6には、弁7が記載されているが、蒸留又はフラツシユ塔30と蒸留又はフラツシユ塔40とをつなぐ系統32には、弁の記載はない。
(2) 以上のとおり、引用例記載の発明における右判示の実施態様では、反応帯(反応器3)から取り出した液状生成物からカルボニル化反応物(酢酸)を分離するには、<1>液状生成物は、弁7を通して圧力が下げられた後、蒸留又はフラツシユ塔30に入れられ、ここで低沸点成分(主に酢酸メチル、よう化メチル及びメタノール)は塔頂から抜き出され、高沸点成分(主に酢酸と触媒系、場合により高沸点溶媒を含む。)は塔底から取り出され、<2>次に、この高沸点成分は、蒸留又はフラツシユ塔40に入れられ、ここで酢酸が塔頂から抜き出され(その後、水を除くために精製してもよい。)、触媒系は塔底から取り出される(再使用のため補給流に戻される。)という二段階の工程で分離が行われるものである。
4 引用例記載の発明における右の例の第一段階の分離工程では、液体生成物を、弁7を通して圧力を下げた後に蒸留又はフラツシユ塔30に入れるとしているが、第二段階の分離工程では圧力について触れられず、第一図の系統図における蒸留又はフラツシユ塔30、40間の系統32にも、弁の記載がないのであり、第二段階の分離工程で減圧が行われているかどうかについては、疑問の生じるところである。
右の第二段階における分離工程は、蒸留又はフラツシユ塔40で行われるが、この第二段階の分離工程を蒸留塔を用いて行う場合には、蒸留又はフラツシユ塔30とこの蒸留塔との間で減圧しなくても分離操作ができるが、この第二段階の分離工程をフラツシユ塔を用いて行う場合には、フラツシユによる分離では低圧にする必要があるから、蒸留又はフラツシユ塔30とこのフラツシユ塔との間で減圧しないと分離を行うことができないというのが技術常識にかなう理解であるということができる。引用例の前記第一図及び明細書本文の記載においては、この点が不明確であること前述のとおりであるが、第二段階の分離工程が蒸留又はフラツシユ塔40で行われると記載されている以上、これについてフラツシユ塔を用いる場合には、右技術常識に従い、減圧が行われているものと解せざるを得ない。
5 そして、右第二段階の分離工程で蒸留又はフラツシユ塔40として蒸留塔を用いる場合には、蒸留又はフラツシユ塔30の塔底成分、すなわち、蒸留又はフラツシユ塔30で気化されなかつた高沸点成分からカルボニル化反応物(酢酸)を気化させて分離するのであるから、この蒸留塔40には、外部から熱を加える必要があり、したがつて、加熱が行われていると解するのが相当である。
6 そこで、右第二段階の分離工程で蒸留又はフラツシユ塔40としてフラツシユ塔を用いる場合について検討してみる。
(1) 成立に争いのない甲第四号証(「新版化学工学辞典」昭和四九年五月三〇日丸善株式会社発行。第三九八頁、第四二一頁、第四二二頁)によると、同書第四二一頁の「平衡フラツシユ蒸留」の項に、その説明として、「混合液の一部を蒸発させ、蒸気と残液とを十分に接触させて両相の組成が平衡に達したときに気液を分離する方法。単にフラツシユ蒸留ともいう。元来は、石油工業で原油のあらい分離に使われた方法である。すなわち、原油をパイプスチルで加熱し、管内を通る間蒸気と液とを加圧状態のまま十分に接触させたのち、減圧弁から低圧室(気液の分離室)に噴出させる。この操作をフラツシユといい、低圧室をフラツシユ室(flash chamber)というが、ここで蒸気と液が分離され、それぞれ連続的に抜き出される。」と記載されていることが認められ、成立に争いのない甲第五号証(「化学大辞典」昭和四一年七月一日共立出版株式会社発行。第九五一頁)によれば、同書同頁の「フラツシユ蒸留」の項に、その説明として、「溶液を加熱して一部を蒸気とし他は液のまま取り出す場合、液と蒸気とが互いに平衡の関係にあるような蒸留をいう。フラツシユ蒸留は成分の分離に用いられることはなく、圧力と温度とが与えられたときに溶液が蒸気と液とに分離する状態を示すものである。そのときの蒸気量と液量との比はフラツシユ曲線がわかつていれば容易に知ることができる。石油工業において用いられるパイプスチルはフラツシユ蒸留の例である。」と記載され、同書同頁の「フラツシユエバポレーター」の項に、「ある組成の溶液が、ある圧力下で加熱された状態から急激にその圧力よりも低い圧力の室内に噴出されると、その溶液は自身の発生蒸気と平衡を保ちつつ蒸発する。この操作をフラツシユとよぶ」と記載されていることが認められる。
(2) 右各記載を総合すると、フラツシユによる分離は、液体混合物をより低圧の室に噴出させることより、揮発性の成分を気化させて分離する操作を指称するものであるが、フラツシユによる分離を行うためには、分離される液体混合物は分離工程以前において加熱され、加圧状態になつており(圧力下で加熱された状態になつており)、これを減圧弁を通して低圧室に噴出させるのが普通であるということができる。
そうすると、引用例記載の発明における前記第二段階の分離工程で蒸留又はフラツシユ塔40としてフラツシユ塔を用いる場合においても、第一段階の分離工程である蒸留又はフラツシユ塔30から抜き出された塔底成分は、蒸留又はフラツシユ塔40のフラツシユ塔に入る前に加熱され、加圧状態にされていなければならず、これを前記4認定のとおり減圧した上、低圧室としてのフラツシユ塔に噴出させるものであるということができる。
(3) ところで、成立に争いのない乙第一号証(米国特許第三、四三七、七〇五号明細書)によれば、同明細書(特に、第四欄第六一ないし第六八行、第五欄第六七行ないし第六欄第二行)に、芳香族化合物をアルキル化する方法が記載され、反応器6から出た反応混合物は、系統8に設けられた圧力制御弁(図示されていない)を通過してフラツシユされ、この気液から成るフラツシユ流はフラツシユ域9で気液分離され、このフラツシユ域9の塔底成分は系統27に設けられた圧力制御弁(図示されていない)を通過してフラツシユされ、このフラツシユされた気液流は、ベンゼン塔28で気液分離されること(別紙図面(3)参照)、反応混合物は反応器6から温度四三五゜FF、圧力五〇〇・p・s・i(ポンド パー スクエアインチ)で出るところ、第一のフラツシユは、温度三九八゜F、圧力二八五p・s・iで行われ、第二のフラツシユは、温度二五〇゜F、圧力一五p・s・iで行われることが記載されていることが認められる。
右記載によると、同明細書記載の発明においては、反応器から出る反応混合物の有する熱と圧力を利用して、第一フラツシユによる分離及び第二フラツシユによる分離が行われており、第二段階のフラツシユによる分離も、更に熱を加えることなく行われていることが明らかである。このように、反応器から出る反応混合物が十分に加熱、加圧されている場合には、第一段階のフラツシユを、単に減圧することにより行えることはいうまでもない。そして、この第一段階のフラツシユで分離した塔底成分もまだ加熱、加圧された状態にあるので、これを単に減圧するだけで、第二段階のフラツシユによる分離も可能となるものということができる。
(4) 前掲甲第三号証によると、引用例の第七頁第一一四ないし第一二二行に、引用例記載の発明に係るカルボニル化反応において選定されるべき温度及び圧力条件としては、「温度は五〇℃ないし三〇〇℃の範囲であり、望ましい範囲は一〇〇℃ないし二四〇℃である。一psigないし一万五〇〇〇psig程度の一酸化炭素分圧を用いてもよいが、五psigないし三〇〇〇psigの一酸化炭素分圧が一般的に好ましく、また、より好ましい範囲は一〇psigないし一〇〇〇psigである。」と記載されていることが認められる。この記載によると、引用例記載の発明においては、反応器3の中で、五〇ないし三〇〇℃の範囲、望ましくは一〇〇ないし二四〇℃の温度、一psigないし一万五〇〇〇psig程度、特に好ましくは一〇psigないし一〇〇〇psigの圧力で反応させるものとされているのである。そして、前掲甲第三号証によると、引用例の第一一頁第五一、第五二行に、前記3(1)掲記の引用例記載の発明の液相法による実施態様においては、「反応器は二〇〇℃及び五〇〇psigの圧力で操作される。」と記載されており、したがつて、反応器3を出る反応混合物は、二〇〇℃、五〇〇psigの温度と圧力を有しているものと認められる。
これによれば引用例記載の発明において、第一段階のフラツシユによつて主に酢酸メチル、よう化メチル及びメタノールといつた低沸点成分が塔頂から分離されるに当たつて温度低下が生じるとしても、この第一段階のフラツシユの際に塔底から抜き出される主に酢酸と触媒系などの高沸点成分は、まだ相当に加熱、加圧された状態にあり、第二段階のフラツシユによる分離では、前掲乙第一号証記載の技術におけると同様に、単に減圧するのみで塔頂から酢酸を分離できる状態にあり、フラツシユによる分離工程のため該工程前において更に別途に加熱する必要はない状態にあるものと推認することができる。引用例記載の発明においてフラツシユ塔40そのもので加熱を行わないことは、以上認定した右発明の技術内容に照らして明らかである。
7 そうすると、引用例には、分離帯において、実質的に低い圧力の下で外部から熱を加えることなく、反応流体流から、酢酸を分離することが記載されているものというべきであるから、審決が相違点として摘示した点についての本願発明の構成要件が記載されているということになる。そして、右相違点以外に本願発明と引用例記載の発明との間には相違するところがないとした審決の認定、判断については、原告において争わないところである。
以上のとおり本願発明と引用例記載の発明とは構成を同じくするものであるから、その作用効果の点においても違いはないものと認めるべきであり、したがつて、本願発明は引用例に記載された発明であるというべきであつて、特許法第二九条第一項第三号に該当するから、審決の判断は結論において正当であり、原告主張の審決取消事由は理由がない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。
〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
(a)ロジウムまたはイリジウム成分および(b)よう素または臭素成分を含有する触媒系の存在下、液相中で、オレフイン、アルコールまたは該アルコールのエステル、ハロゲン化物あるいはエーテル誘導体を一酸化炭素と反応させ、而して前記液体反応物の少くとも一部分を実質的に低い圧力の分離帯に熱を加えずに通して前記カルボニル化生成物の少くとも一部分を気化させ、該気化カルボニル化生成物を取り出しそして残留液体反応物を前記反応帯中に再循環させることを特徴とするカルボニル化法。
(別紙図面(1)参照)
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(1)
<省略>
別紙図面(2)
<省略>
(以下省略)